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「ソクラテス」を参照するカード ソクラテス/11弾
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「ソクラテス」 ソクラテス/11弾
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ソクラテス・オットーをお気に入りに追加 ソクラテス・オットーのリンク #blogsearch2 ソクラテス・オットーとは ソクラテス・オットーの67%はお菓子で出来ています。ソクラテス・オットーの14%は記憶で出来ています。ソクラテス・オットーの7%は電波で出来ています。ソクラテス・オットーの6%は鉄の意志で出来ています。ソクラテス・オットーの3%は運で出来ています。ソクラテス・オットーの3%は華麗さで出来ています。 ソクラテス・オットー@ウィキペディア ソクラテス・オットー ソクラテス・オットーの報道 gnewプラグインエラー「ソクラテス・オットー」は見つからないか、接続エラーです。 冬のソナタ またでるよ 冬のソナタ 韓国KBSノーカット完全版 DVD BOX(初回限定 豪華フォトブックレット&スペシャル特典ディスク付) 本当に長い間、待たせてごめんなさい。「冬のソナタ」韓国KBSノーカット完全版をいよいよお届けします。 映像は韓国KBSのオリジナルそのままに、音楽に関してもユン・ソクホ監督が想いを込めて監修し、一部楽曲を変更しました。初回限定特典にはぺ・ヨンジュン 独占インタビュー/ユン・ソクホ監督&田中美里の対談スペシャルDVDの他、DVDオリジナルポストカード、シリアルNo付 豪華フォトブックレット(20P)を封入しております。 今までの日本用編集版よりも約166分長いノーカット映像(本編後のエンドロールも収録!)に加えて、映像特典の【スペシャル短編集】には、ペ・ヨンジュンのスノーボードシーンの撮影風景も収録しています。 【ここが違う!8つのポイント】 ◆今までの日本用編集版よりも約166分長いノーカット映像(本編後のエンドロールも収録!) ◆ファン待望の「ダンシング・クィーン」「白い恋人たち」をついに収録。 ◆日本語吹替を再収録。萩原聖人さん、田中美里さんが担当、その他主要人物もなつかしいあの声で。 ◆本編は日本語字幕に加えて韓国語字幕も収録 ◆一部変更した楽曲をユン・ソクホ監督が想いを込めて監修!(一部BGMはオリジナル版より変更されています) ◆<初回限定特典1>スペシャルDVD:★ぺ・ヨンジュン 独占インタビュー/★ユン・ソクホ監督&田中美里の対談 ◆<初回限定特典2>豪華フォトブックレット:シリアルNo付(20p) ◆<初回限定特典3>DVDオリジナルポストカード3枚 ソクラテス・オットーのキャッシュ 使い方 サイト名 URL ソクラテス・オットーの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ ソクラテス・オットー このページについて このページはソクラテス・オットーのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるソクラテス・オットーに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
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哲学者だぞえ! ソクラテス!! 作成者:猫まっしぐら 登場人物 ソクラテス(♂):かの有名なソクラテス。 家庭教師(♂):教え方は悪くないがワンマンなので有名 たけし(♂):小学生。勉強は好きでない。 たけし「先生、できたー」 家庭教師「お、どれどれ……ん、ここ違うじゃないか」 たけし「え? あ、ほんとだ……」 家庭教師「よく見たらやり方も俺の教えたやり方じゃないな。何度言ったらわかるんだ」 たけし「でも……先生のやり方だとこの問題やりづらいし……」 家庭教師「何だと? この問題はな、このやり方でやるのが一番速くて合理的なんだ! 先生のやり方が正しいんだからこのやり方でやりなさい」 ソクラテス「待つのだ」 家庭教師「!?」 たけし「お、おじさんだれ?」 ソクラテス「私の名はソクラテス。真理を追究するもの……」 家庭教師「ソクラテス!? 何言ってんだあんた、ただのジイサンじゃねえか。どこから入ってきた?」 ソクラテス「欺瞞に溢れた現代社会を憂いてな……いてもたってもいられなくなったのだ」 家庭教師「だったら出身のギリシャ行けよ」 ソクラテス「…………」 家庭教師「そこで黙るなよ!」 ソクラテス「お前はさも全てを知っているかのように言う。私が今からお前に問答をしよう」 家庭教師「無視かよ……いいだろう」 ソクラテス「では……そうだな、1+1は?」 家庭教師「…………2」 ソクラテス「では、1+1は何故2になる?」 家庭教師「は? ……そんなの、それが答えだからだろ」 ソクラテス「そこで終わってしまっては、知というものは生まれない。好奇心、探究心こそが人生をより豊かにするのだ。……1+1が何故2になるのか、汝に証明できるか?」 家庭教師「…………わ、わから、ない」 ソクラテス「それみろ。数学という学問においてそれを証明することは、存外に難しいものだ。当たり前だと思ってわかったつもりでいることが何よりも難しい、ということもあるのだ」 家庭教師「ぐ、じゃ、じゃあアンタはわかるのかよ!」 ソクラテス「私にも、わからない」 家庭教師「殴るぞジイサン?」 たけし「(すごいおじいちゃんだ……)」 ソクラテス「私の言葉が信じられぬというのなら、お前も私に問答をしてみるといい。……遠慮はいらぬ」 家庭教師「……じゃあ、2010年テレビゲームソフト売り上げランキングの上位5位を答えてみろよ。はっ、じいさんにはどうせそんなもんわかんないだろ? 本物のソクラテスだって、わかるはずもない」 ソクラテス「1位、ポケットモンスター ブラック・ホワイト、機種DS。2位、NewスーパーマリオブラザーズWii、機種Wii。3位、ドラゴンクエストVI 幻の大地、機種DS。4位、ドラゴンクエストモンスターズジョーカー2、機種DS。5位、トモダチコレクション、機種DS。上位陣を任天堂社とスクウェア・エニックス社で占めることとなった。1位のポケットモンスター ブラック・ホワイトは売り上げが現在263万7285本であるが、その半数以上が予約の段階ですでに超えていたという事実が興味深い。また、このタイトルは上位5タイトルの中で最も遅く発売されたのにも関わらず売り上げ本数2位の146万8327本と大差をつけていることから、その人気ぶりがうかがえる」 家庭教師「きめぇえええぇえぇぇえええ!!」 ソクラテス「……ちなみに、私はホワイトを買った」 家庭教師「聞いてねーよ! ってか買ってんじゃねーよ!!」 たけし「あ、僕ブラック買ったよー」 家庭教師「だから聞いてねーって言ってんだろ!!」 ソクラテス「わかったか。汝は知ったつもりになっているようで、実際は何も知らないのだ。……己の『無知の知』を知るがいい」 家庭教師「ぐ……うっ……」 ソクラテス「ゆめゆめ慢心するなよ。……ではさらばだ」 家庭教師「くっ、こ、の……」 家庭教師「なんだったんだチクショー!!!!」 【後書き】 とりあえずソクラテスに謝ろうと思う。うん、ごめん。ソクラテスは威厳ある感じの自信タップリで読んでみてください。後は自由に!
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ソクラテス・シノポウロス 『ソクラテス・シノポウロス』 Sokrates Sinopoulos ある『法』について『法内容』『違反の定義』『違反した場合の処罰』の3つを説明し、 それに異議がない場合に発現するスタンド。 『悪法もまた法』を具現化する能力。 規定された『法』に『違反』した場合、事前に説明した『処罰』が加えられる。 『法』の内容は何でもよく、どのような『悪法』であっても、 その時点で異議申し立てを行わなければ、その時点でそれは『法』となる。 逆に、事前に異議を申し立てていたのであれば、このスタンド能力は効果を発揮しない。 破壊力:A スピード:- 射程距離:- 持続力:A 精密動作性:A 成長性:E
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因果の悪聖ソクラテス 光/闇 レア (5) 4500 エンジェル・コマンド/デーモン・コマンド/ナイト ■このカードをマナゾーンに置く時、タップして置く。 ■誰かが呪文を唱えた時、互いのプレイヤーは自身のクリーチャーを1体選び、山札に加えてシャッフルする。 ■誰かかクリーチャーを召喚した時、互いのプレイヤーは手札を1枚選び、山札に加えてシャッフルする。その後、1枚引く。 ■このクリーチャーが破壊される時、代わりに自分のシールドを1枚手札に加えた後、このクリーチャーを新たなシールドとして自分のシールドゾーンに加える。 作 楼砂 評価
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目次 1.私は霊の世界を知らない学者を批判した 2.汝自らを知れ! 3.毒杯を呷(あお)り刑に服(つ)く 4.昔のアテナイは今の東京 5.私はドイツ観念論の始祖に当たる 6.法の重みを自覚し、対機説法を行なえ (一九八四年四月二十九日の霊示) 1.私は霊の世界を知らない学者を批判した ― ソクラテスを招霊する――。 ― 古代ギリシャ語が長々と続く ―。 善川 ソクラテス様ですか……。まことに恐れ入りますが、私は今のあなた様のお言葉は解し兼ねますので、できましたら日本語でおねがいしたいのですが。 ― ギリシャ語が続く ―。 ソクラテス ウヮタクシハ、ソ、ソ、ソクラテス、ソクラテス、デス。 善川 まことに恐れ入りますが日本語でお願いできましょうか。 ソクラテス デキルカギリ、ドウリョクシテミマス。ナレテキタラ、アルテイドハ、 コタエルコトオモイマス。 善川 あなたは、ギリシャの国にお生まれになられたわけですね、今からおよそ二千五百年程前ですか。 ソクラテス ソデス。 善川 それで非常な哲人として、今も多くの人々に語られ敬われておられるわけですが、私は残念ながら先生のご思想というものについての認識が足りませず、当時どのような思想のもとに゛法゛を説かれたのか、そのようなことについて、もしお話をして頂けるなら有難いと思うのですが。 ソクラテス ― またギリシャ語が始まる ― ワタクシハ、イマノアナタガタガ、ギリシャとよんでいる国、アテナイという都市の中で、人間として生きていくものの正しい生き方が如何なる方法であるかということを説いていたのです。 善川 それは書物でお著(あら)わしになられたのですか、それとも口述されたものであったのでしょうか。 ソクラテス わたくしは、このような「対話」の形を通じて、人々を啓発するという方法をとったものです。 善川 当時のギリシャは、文化の進んだところでありますので、文字等もあったことと思うのでありますが、先生が説かれた゛法゛というものの教えについての書物は残されなかったのでしょうか。 ソクラテス 私の弟子達が、私の語ったものを記録に残しております。私、自らは書いてはおりません。 善川 ということになりますと、お釈迦様や、イエス様が、説法されて、そのお弟子様方が、後々の世のために書物として、書き残されたということと同じケースであったわけですね。 ソクラテス かも知れませんが、違うかも知れません。 善川 特に先生が、ご注意されました点というのはどういうことであったのですか、お教え願えますか。 ソクラテス わたくしは、主として知識、知力、理性というものから「正法」を説いていたものです。真理に対する正しい知識を持っていなさいと。そうすることが、あなた方の進歩に繋がるのです。間違ったこころ、間違った知識や知恵は、何の役にも立たない。そういうことを議論によって次つぎと表わしてゆきました。 善川 その正しい知識と申されましたけれども、当時あなたが正しい知識とご主張されたものの規範と申しましょうか、尺度と申しますか、何をもって正しいものであるというご見解を持たれたのでしょうか。 ソクラテス 私の考えは、神というものを哲学的に認識することでした。具体的には、私が招霊をしていたものとの交信を通してさまざまな知識を得ました。 善川 それは、その時点におきまして、あなた様は「神」の存在というものをご自覚されておられたのでしょうか。 ソクラテス そうです。 善川 それでは正しい知識というものは、いわゆる人間知によるものか、神から出された本来の英智というものか、そういうもののけじめというものは確然とされていたのでしょうか。 ソクラテス そうです。ただ私の当時の使命は、あなた方は一般に宗教という形で人々に説いていたけれども、当時のギリシャは、非常に知的な文化が進んでおり、非常に学問的にも進化しておりましたので、宗教を宗教として単に信ずる、感じるというものではなくて、宗教を学問化するということが、私の当時の目的であり、神をただ信ずるなどというのではなくて、この世界、あの世の世界を、学問的に体系づけるということが、私のやり方の一つでありました。 善川 そのあなた様が感じておられました神という対象は、どのような神を対象とされておられましたか。 ソクラテス ゼウスの神です。 善川 ゼウスの神という方は、どういう神格を持っておられた神様ですか。 ソクラテス ゼウスは人格神でありますが、諸々の聖霊達の上に立つものです。 善川 これは宇宙の創造神という、いわば「法神」という意味ではなく、いうならば地球霊団の゛長(おさ)゛という形の神様であられたわけですか。 ソクラテス そうとも言えますし、そうでないとも言えます。具体的に人格的な神であられることは存じておりましたが、それ以外に天地創造の大きな働きと関係あることを否めません。それを学問的に捉えることもむつかしいと思います。ゼウスという言葉も、人格神としてのゼウスと、それ以外の大きな力を表わしているゼウスがあると思います。 善川 その辺の「理(ことわり)」というものを理論的にあなたはお説きになられたのですか。 ソクラテス そうです。 善川 それをお弟子さんのプラトンなり、アリストテレスなどが文書に著わしたのでしょうか。 ソクラテス 彼らは彼らの立場や考え方がありましたので、必ずしも私の意図したもの通りとはなっておりませんが、私の考え方、思想の一端は、彼らも述べ伝えているはずです。 善川 いずれにいたしましても、あなたも歴史上の人物であられるし、人間として肉体をもってこの地上に現われました方であります関係上、お教えになられたことも単に抽象的なことではなくて、この地上に生活する人間が、如何に生くべきかという具体的な生活の行動指針をお説きになられたものと、私は拝察いたしますが、私たちの理解のできる範囲で、あなたのお教えというものをお聴かせ願えれば幸いと存じますが。 ソクラテス 私は霊の世界についても説いております。転生輪廻についても語っており、霊界の世界も生きながらにして行って来ました。そして天上界の仕組みについても、私、語りました。そういうものがあるということを人々特に青年達に教えていきました。青年達に、アテナイの、ギリシャの未来を担う青年達に魂の世界のあること、天上界という組織があるということ、転生輪廻もあるということを教えましたが、当時の他のソフィスト達は、私を、青年達を惑わす者、青年達を悪に引き込むものだというふうに称して、私に議論でよく負けていたものですから、そういう反感から私を陥れようと陰謀した人達も随分あって、私を、青年達を惑わしたという名のもとに死刑にしようとしました。 善川 その人達は、役人とか或いは政治的な背景を持った人達だったのですか。 ソクラテス そういう人達も居りました。当時有名な言論家達、たくさん居りました。私は当時でも異端のように思われていたのです。当時の言論家達、雄弁家達は自らの知識を誇りにしておりましたが、私は、そうではないのだ、あなた方は全く無知なのだ、学問をいくらやっても、学問馬鹿というものがある。いくらこの世の学問を修めたところで、あなた方は霊について何も知らないではないか、死後の世界を何も知らないではないか、神についても知らないではないか、転生輪廻について何も知らないではないか。何も知らないものが知ったもののように語ることは如何なることか。何も知らないのに知っているように語るよりは、知っていることと、知らないこととを分け、知らないことを知らないと言える謙虚な人間こそが、もっと立派であると私は彼らに言いました。 あなた方は何も知らないではないか、何も知らない。霊も知らない、神も知らない、この世の仕組みも知らない。仕組みも知らないのに何もかも知ったような顔をして青年達を教えるというのは、間違っているではないか。そのようなことを、私は事ある毎に人々に言いました。ところが当時の人達は、私を世を惑わす異説、異端ときめつけて私を消し去ろうとしたのです。イエス様が十字架にかかったのと似たような事情であります。 善川 私は当時の模様はよく存じませんが、文化が非常に発達したものと思いますが、あなたのお仕事は、今で申しますなら評論家というのでしょうか、それとも大学の教授という職のお仕事だったのでしょうか。 ソクラテス 今いえば大学教授のようでもあるし、弁論家でもあるのですが、弁証家がそれだけの力を持っていた時代なのです。 善川 それはイエス様当時のパリサイ人(びと)、或いは、サドカイ人(びと)というような宗教上の学者グループというのでもなかったのでしょうか。 ソクラテス ちょっとあなたの言っていることが判りにくいのですけれども。 善川 いわゆる神学者ですね、あの当時の、イエス様の当時の人は神学者ですね、そういう立場の方々とは違う学者として……。 ソクラテス いろんな現われ方で、例えば仏教では、いろんな僧侶が沢山出てきました。キリスト教では、キリスト教の教会とか、いろんな方が出てきました。私達の時代には雄弁家というか、学問家というか、自分らで考えたことを次つぎ発表して、真理を競うとか、真善美、これを追究するための文化が非常に発達した時期でありました。 善川 当時は、現代のような学校というようなものはあったのですか。 ソクラテス 学校はありました。私自身、アテナ学園を創っていった人間の一人です。 善川 そういう学園の研究室で……。 ソクラテス 弟子達を集めて教えておりました。 善川 プラトンという方は、その当時のお弟子様ですか。 ソクラテス プラトン、そうです。 善川 アリストテレスは少し時代が下がっての方ですね、まあそういう方々の若い青年達を対象にして、あなたが説法されていたということですね。 ソクラテス そうです。 善川 いうならば、今様に申しますならば、反対学者が居られたということですね。 ソクラテス と言うよりも、当時の方々は、学問という基礎はもうあったのですが、本当のことが分からない。それで哲学というものを作ったのは私達ですが、これは、神の弁証、真理の弁証、というものを或る程度学問的に捉えようとした動きです。そしてまた私、このように現在、O川OOが語っているように、また光の天使達と語ることができたために、今と同じように私のことを怪(おか)しいというような人もやはり随分居たわけです。しかし、私を信ずるものは私に従いてきましたが、私を信じないでペテン師だと言っていた人も多かったのです。 善川 あなたのお話によりますと、あなたは既に霊能力というものが開かれておりまして、当時のゼウス様からの交信を受けるというお立場であられたというわけですね。 ソクラテス ゼウスとは直接お話できませんでしたが、お弟子様達とお話できました。 善川 あなた様は、そういう天性の霊能力を持っておられたし、しかも学者として哲学という学問を打ち立てておられたのですが、あなたの学問およびその教えの基本となるものは、今様に申していえば帰納法をとられたのか、それとも演繹(えんえき)法をとられたのでしょうか。 ソクラテス 両方とも、言葉が適切でありません。帰納でも演繹でもありません。私のやり方は違います。私、神の世界も知っていますし、霊の世界を知っています。当時すべて分かっていましたけれども、当時の人でそのようなことを理解できる人は居なかったのです。ですから議論ということを通して、相手に自ら無知であるということ、魂の頁実に対して無知であるということを悟らせる、これが悟りの第一歩だということで、私は人々の。゛無知゛ということを悟らせようと努力したのですが、これが無知を悟らせられる側の人からみたならば、大変傲慢なやり方に思えたはずです。 キリスト教には、自らの罪に気付いて懺悔するというやり方があるでしょう。仏教でいうならば、反省ということがあるでしょう。私のやったことも同じことなんですが、人間には間違った考え、愚かな考えや、欲望に振り廻されておりますが、それは無知にもとづくものであります。その゛無知゛に気付かせるために私は、いろんな所で、いろんな人と議論を行ない、いろんな人にいわば恥をかかせました。これはまあ一つの方法であります。 2.汝自らを知れ! 善川 まあ反省ということについては、あなたには有名なお言葉があります。「汝自らを知れ!」というお言葉ですが、それが自身の反省に立脚せよと、そういう意味であったわけですね。 ソクラテス そうです。今日的な宗数的な言葉で言うならば、神の子である自分に目覚めなさい、或いは、自分の良心に目覚めなさい、そういう言葉であります。当時はそういう言葉でしか「正法」は説けなかったのです。 善川 当時の肉体を持った人間としては、如何にご高説であったところで、遺憾ながら己が眼で観(み)、肌で感じなければ、それを信じるということは困難であったろうと思うのですが、あなた様は、何かその不思議を現象に起こして見せて納得させたという経験はなかったのでしょうか……。 ソクラテス 現象は人々に見せません。私のとった方法は、こういうことであります。なんというか、神の子としての自覚を持って日々生きていく人々は、それなりの高貴な魂、高貴な精神の持ち主、として外見にも表われ、言動にも現われるものです。私はそういうもの(現象)を知っていましたけれど、そうではなくて、私から出る波動によって悟らしめるという、私の言動、私の立ち居振舞い、そのようなものを見て、人は何か悟るものがあるであろうという、そういうやり方を私はとったのです。 善川 そういうことで人々の中には、悟れる人もあったわけですね。 ソクラテス そうです。 善川 さらに突っ込んであなたのお説を、もっともっと深く学びたいという学生達は、霊能力の開発ということまでは進まなかったのでしょうか。 ソクラテス そこまで進めた人は極く稀(まれ)な人でありまして、プラトン(プレイトゥー)はそのような、私と同じような力を持っておりましたが、やはり天性のものでありますし、ただ当時には、そのような力があるということは、或る程度信じられていましたので、神の人、という見方はありました。 善川 あなたのお目から見れば、あなたのお弟子様のプラトンは、どれだけの使命を持ってお生まれになったとお思いですか。 ソクラテス 共に同時代に生まれたものですが、プラトンの使命は、私よりも偉大だったかも知れません。私は一つの神より遣わされた人間として、高尚な人生を送って、その人格をもって人々に感化を与えるというのが私の使命でありましたが、プラトンの使命は、私の説いた人作り、それが哲学の基礎づくりともなるものでありましたから、彼の考え方は、もっと私より進んだ面もあります。 善川 あなたのご在世中には、あなたのお教えがどの位の人に影響力を及ぼされたのでしょうか。 ソクラテス やはり一つのアテナイ市の、まあ今でいえば東京のようなものでしょうか、東京という非常に進んだ文化の地があって、その中でやはり、ソクラテス在り、と言われた人間の一人です。 善川 まあ言うならば、東大の総長というような形での資格を当時持って居られたのでしょうか。 ソクラテス それは言えませんですけれども。 善川 あなたのご身分については、時の政府では何か認証というものをお与えになられていたのですか。 ソクラテス そうではありません。貧乏暮らしをして居りました。 善川 まあいうならば、野に在った学者ということですね。 ソクラテス まあ言わば私塾というか、私塾学園というか、当時はそういうふうに、言論家達が弟子を養成するのが流行(はや)っていたのです。 3.毒杯を呷(あお)り刑に服(つ)く 善川 いま一つお伺いしたいのですが、あなたが、これも史実によるんですが、毒杯を呷(あお)られたということですが、これは事実でしょうか。 ソクラテス 事実です。 善川 誰があなたに毒杯を飲むことを強要したのですか。 ソクラテス それは゛市民会議゛の決定です。 善川 ゛市民会議゛とは、いわゆる反対派の方々のですか。 ソクラテス 今にたとえていえば、地元の有士たちが、ソクラテスは青年達を迷わしている、ああいう男を許してはいけない……当時そんな法律があったのです。例えば今で言うならば、そういう間違った思想宣伝をして人々を迷わす罪とでも申しますか、そういうような刑法があったのです。私はそれにかけられたのです。抗弁することも出来たのです。申しひらきすることも出来たのですが、私は沈黙して何も言わなかったのです。牢獄の中に入れられても、牢獄の番人も私の弟子になってしまいました。次つぎと親しい人達も詰めかけて来て、私に、考え方を改めるように、謝罪するようにしろ、そしたら命は助かる。そういうことを次つぎ、いろんな方が言って来ましたけれど、私は自分の考えを曲げたくないし、また市民巷間においては、悪法もまた法であるという立場から、悪法であっても国を規律する法である以上は、生きている市民は守らねばならない。外面的に正義が悪に屈伏するように見えても、そういう法律というものを無視しては、民主主義国家は成り立たないから、多数によって、多数決によって私が有罪とされ、法律によって処刑されるとするならば、敢えて私は毒杯を呷(あお)ることを選びました。 ただ、当時においても死刑ということと、毒杯を呷るということは違っていて、処刑という形で人殺しをすることもありましたが、私のような場合は名誉的な死に方として、毒杯を自分から選んで死ぬことも許されたのです。 善川 それは毒物を飲み物の中に入れられたものを飲むわけですか。 ソクラテス そうです。 善川 その市民裁判というものはどういうようなものでしょうか、公的な裁判所における決定によるものでしょうか、それとも単なる市民の集まりですか。 ソクラテス 今でいえば陪審員のようなものです。陪審員がいっぱい並んで居て、地元有力者、市民の有力者が十人二十人と並んでいて、訴状読み上げて、それぞれ判決を読み上げて有罪が決まるのです。 善川 そういうことですか。その時に、もっとも死罪に価(あたい)すると言われたのは、何という罪の名で宣告されたのですか。 ソクラテス 思想犯です。今でいう、例えばあなた方が戦前、共産主義を持っておれば、監獄にぶち込まれたりしたでしょう。思想犯です。 善川 当時の思想犯といえば、眼に見えない神の国があるなどと説いて、人を惑わしたという意味でしょうか。 ソクラテス 青年を惑わす罪というのがあったのです。 善川 当時弁論家達の中には、あなたと意見を共にするような方は居られなかったのでしょうか。 ソクラテス いろいろ居りました。 善川 そういう方は、法にふれ罰せられはしなかったのでしょうか。 ソクラテス 私は先程言いましたけれども、人々に゛無知゛を悟らせようという方法をとったために、いろんな方の反撥や、反感をかったのです。また中傷する者も随分出てきました。告げ口をする者、いろんな悪口を言うものも出てきました。 4.昔のアテナイは今の東京 善川 歴史は以来およそ、二千五百有余年経ちましたが、あなた様はその後天上界でずっとご在住でしょうか。それで天上界からご覧になられた地上界の、時代の様相というものは逐一ご承知であられるのでしょうか。 ソクラテス 見ております。私達の時代から少しも進歩しておりません。「神理」を知らない人は、数においてはますます増えようとしております。 善川 しかし、ここで問題になるのは転生輪廻が繰り返されるということによって、その度ごとにいささかでも゛神理゛にふれて、そちらの方へ還って行って、また生まれ変わって来るという形で進歩しているというような姿が正常なことではないのでしょうか。 ソクラテス 或る時は私、ソクラテスの話を聴いて悟れなくても、或る時また生まれ変わって、例えば仏教者の誰かの説を聴いて、ああ実は前に聴いたソクラテスは、こんなこと言っていたのだな、ということを死んでから考え合わせて分かるという人も居るし、さまざまです。 善川 その頃の人々の世界観というものは、ギリシャ中心のものの考え方だったのでしょうか。 ソクラテス 大体地球は丸いということぐらいの想像はついておりました。 善川 他の地域にも人間が住んでおり、大小さまざまな社会が存在するということは知っておられましたか。 ソクラテス 知っておりました。アトランティス等も存在していて沈没したことも私達は知っておりました。 善川 しかし、アトランティスの沈没は、あなた方のご在世時代よりかなり古い時代であったと思いますが。 ソクラテス そうですけれども、その程度の世界観は持っていたということです。私達の世界はもちろんヨーロッパや、地中海や、アフリカ大陸、大西洋ぐらいにしか過ぎなかったかも知れないけれども、その当時としては、そこそこの世界観を持っていたはずです。 善川 現在のあなた様のお眼から見れば、もう地球は全部お見通しのことと思われますが、今、先程申されたあなた様のご在世当時の人間の魂の進化程度から比べて、少しも進歩していないようだと申されましたが、これは現在の、ギリシャ地域の人に限ってのことでしょうか、それとも地球的規模の全体の人間を指してのことでしょうか。 ソクラテス 比較の対象が違うのでなんとも言えませんが、人類の歴史は、時代、時代頂点があったはずです。ギリシャの時代には、光の天使達が多くギリシャに生まれました。技術も、工芸も、最高点に発達しました。けれども、ギリシャ以降に同じく永く栄えた時があるかというと、必ずしも続いたわけではありません。ローマが栄えたこともありますし、他の地域が栄えたこともあります。その時、その時に頂点を極めるけれども、その頂きの高さは決して高くなっていません。今は東京、東京でしょうか、ギリシャは、かつてアテネとして栄えた東京でしょうか。 善川 その当時から比較すれば、自然科学では相当に進んで来ているように思うのですが如何でしょうか。 ソクラテス 人間の数も増えておりますし、職業分化も増えております。さまざまなこともありましょう。何をもって進化というか、むつかしい問題です。 5.私はドイツ観念論の始祖に当たる 善川 あなた様も光の指導霊としていま天上界に居られるわけなのですが、特にご使命としてはどういう分野のご指導をされておられますか。 ソクラテス やはり学問的な動きというものを全体的に捉えております。 善川 それは国単位ではなしに、やはり全世界的な規模において捉えておられるわけですか。 ソクラテス 近代はさまざまな哲学者や思想家が出てきましたけれども、彼らも私どもの指導の下にあったというわけです。 善川 それはかつて出られた思想家の方々でしょうか。 ソクラテス 十八世紀、十九世紀、二十世紀にさまざまな哲学者や思想家が出た筈です。このような哲学的な運動が起きた背景には、私たちの力があったということです。 善川 近代の大きな思想家、哲学者としては、マルクス、エンゲルスなどが出て来ておりますが。 ソクラテス 私に関係ありません。 善川 例えばショーペンハウアーとか、ニーチエのような思想家も出ておりますが。 ソクラテス ニーチェは間違っております。ショーペンハウアー、彼も間違っております。 善川 あなたの系列ではないわけですね。いま、現代ではハイデッガー、サルトルなどの実存哲学というものが出てきましたが。 ソクラテス みな私達の流れとは別のものであります。私どもの哲学の流れは、カント、へーゲルというような観念論の流れの方に私どもは主として力を貨して居ります。 善川 いまカントさんは、あなた様のお出でる霊域に居られるのですか。 ソクラテス 近いところに居ります。 善川 近いところと申しますとお交際(つきあい)はされていないのですか。 ソクラテス 時どき会って話しております。 善川 それはまた違った霊域に居られるということでしょうか。 ソクラテス どういう意味ですか。 善川 居られる次元世界が別か、ということです。 ソクラテス 次元とは? 善川 七次元、八次元、九次元という次元世界があるようですが、そういう意味では別の次元でしょうか。 ソクラテス 何とも言えません―。 善川 それではお逢いするということでは、どちらの側からでも自由意志でお会いできるのですね。 ソクラテス そうです―。 善川 プラトンさんなんかも一緒のグループに居られるのですか。 ソクラテス 哲学者にも段階があるのです。 善川 日本では、西田幾多郎という方がいまして、この方も観念論の立場で゛無゛の哲学を説かれた方ですが、こういう東洋思想の方々に対する影響というものはなされたのでしょうか。 ソクラテス そういう人も居られるとは聞いております。指導はしておりません。 善川 折角のお出ましを願いましたのですが、粗雑なことをお尋ねし申し訳ないのですが、私達も一つの使命をもって現世に出て居りますのですが、もし私どもに今与えられます先生のアドバイスというものがありましたならばお願いしたいと思いますが。 6.法の重みを自覚し、対機説法を行なえ ソクラテス まず大切なことは、どういう人達を相手にあなた方が法を説こうとしているのか、ということです。ここのところを間違うと、いろんな反撥や邪魔を受けることになります。どういう人達を相手に、あなた方が法を説かれるかということです。 善川 私たちが聖賢の方々から神の存在、世界の仕組み、霊界の諸相と転生輪廻の法則について、相当高度なお教えを承っているのでありますが、果たしてこれらの「神理」を何処まで理解して頂ける対象者が居るかということに悩むのでありますが。 ソクラテス よく考えてみなさい。あなた方がいま神の縁によってこのような゛現象゛をさせられている。そして私たちの話を聴いている。もうあなた方の活動の使命は、単なる病気治しなんかではないということは明らかであります。 善川 さりとて、学者などを対象とするようなものでもないように思いますが、如何でしょうか。 ソクラテス 永遠の思想を残すということです。とにかく、二千年、三千年後の世にまで伝わるかも知れないということを念頭に置いて語りなさい。私のような者が語ったようなことでも既に二千五百年伝わっているのです。気をつけなさい。安易なことを語ったり述べたりしないことです。後世で誤解されるようなことを残さないことです。気をつけなさい。あなた方が残さんとしているものは、後の世に出て来て法を説く者達への遺産でもあるのです。彼らが正しく゛法゛を継げるような遺産を残すということ、これも大切なことです。 善川 先生は当時、先生の思想を書き残すということはなさらなかったのですか。 ソクラテス ないです。 善川 それは何か理由があって、書き残すということはなさらなかったのでしょうか。 ソクラテス 私の説法は、臨機応変といいますか、人に応じて私の説法は変わったのです。そのような融通無碍(ゆうずうむげ)のものです。書いてしまえば、後の世に誤解されます。私の思想は一定のものではないのです。時、処、場所によって変わっていくものなのです。ソクラテスがこう述べたからこうだ、というようなものではないのです。後の世に必ずそれが、真理を求める人の足枷(あしかせ)になる場合があるのです。 善川 ありがとうございました。私達も、今後心してまいりたいと存じます。 ソクラテス もう帰ってもよろしいか―。 善川 最後にちょっとお尋ねしたいのですが、最初にあなた様が語られた言葉は、ギリシャ語ですね、現代のギリシヤ語とは違いますか。 ソクラテス 違うでしょう。当時のアテナイ地方の方言です。 善川 わかりました。それでは有難うございました。また今後ご縁がございましたら、いろいろご指導下さいますようお願いいたします――。
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現代社会という基盤と未来という公理化された普遍的射程においてポストヒューマニズムは自律的な主体に代わり,統一的でない主体像を提示しようとする。表象としての機械と有機体,人間と他の生の形式が,シームレスなタペストリーとして包括的に融合され,相互に依存し,ともに進化する超越的認識としてポストヒューマニズムの概念における抽象機械の差異化を生成する。松本良多によればポストヒューマニズムとは脱人間主義という思弁的断絶をへてクリティカルな人間と機械が共生するバイオモーフィックの哲学である。 ポストヒューマンは、人類の進化の生成する多様体としての抽象機械の脱コード化によって生み出される。ポストヒューマンと他の仮説上のアクタントとの違いは、松本良多によればポストヒューマン自身かその先祖が人間であったという事実だけでありアクター・ネットワークに内包する。ポストヒューマンのアプリオリとしてトランスヒューマンがある。トランスヒューマンは人間の限界を超える強化をしたものであるが、同時に人間と認識されるものである。 ポストヒューマニズムの形態として、松本良多があげるのは人間と人工知能の共生、意識のアップロード、プロスゼティックの延長としてのマルティプリティなども考えられる。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学、精神薬理学、延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、進化した情報管理ツール、向知性薬、ウェアラブルコンピューティングなどの技術を適用することも考えられる。 バイオテクノロジーにより個体をニューロンのマルティバレント入出力機能を持つ多様体と置換したとする。どのような事象公理のアプリオリの概念のフレームワーク、モナドとして再定義されるコード化のなかでも自身にたいする認識は以前とまったく変わらないだろう。そして松本良多によればテクノロジーのよるアキュムレイトと置換を持続していけば、内在する強度としての知性は加算的に積層するシリコンの微分化という特異点を生成する。各エージェンシーが正確にニューロンの機能を模倣するので、個体の行動や記憶は公理化された以前の自我と全く変わらない。 よってクリティカル ヒューマニズムは地球上に人類が存在しなくなった未来に生まれるであろう支配的な種をポストヒューマンとは定義していない。 ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て超越論的な存在になるとする考え方もある。これは一部のサイエンス・フィクションにあるような存在形態のレベルが上がる等といった生易しい話では済まず、ポストヒューマンが築き上げる世界があまりにも高度で洗練されているため、生身の人間が見たらその意味を全く理解できない。世界が高度過ぎて認知できないということは、意味が無いように見えるため、むしろ乱雑な世界に見えるだろうということである。
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ソクラテス ソクラテス(前469年頃~前399年4月27日)は、アテナイの哲学者。毎日仕事もせずにアテナイの街を歩きまわり、ソフィストのように金をとることなしに青年たちに教えた。ソクラテスての教育の方法は「対話」だった。お互いに議論を重ねていくうちに、ソフィストのように議論に勝つためではなく、真理を発見するために対話の弁証法を発揮した。 ソクラテスに著書はなく、プラトンの書いた「対話篇」など、弟子の記述によってのみ知られる。 ソフィストたちがみずからを知恵ある人と呼んでいるのを嘲笑して、ソクラテスは「私は自分自身がなにも知らないことを知っている(無知の知)」といった。 このように弟子などに、彼ら自身が無知であると気づかせ、自分で真理を発見させる「産婆法」をした。 古いギリシャの言葉「汝自身を知れ」によって、弟子たちに自分の内心の声「ダイモニオン」に耳を傾けさせた。また「徳は知である」と主張して、なにが正しいかを知らなければ正しい生き方はできない、とした。 また宗教を侮辱して青年を堕落させたとされ、毒を飲む結末を選ぶこととなった。 ダイモニオン 自分の内心の声。このダイモニオンに素直に従えば、絶対の真理が存在することに気づく、とした。 プラトン プラトン(前427~前347)は、ソクラテスの弟子である哲学者。それまでの哲学を批判摂取して一大哲学体系を建設した。プラトンの著書はソクラテスにかかわる「対話篇」のほか、全十巻の「国家」、未完に終わった「法律」などがある。晩年にはアカデメイアに学校をつくって弟子を教育したので、その学派は「アカデメイア学派」と呼ばれる。 プラトン哲学の根本概念は「イデア」である。 イデア 認識するに値する真実の実在。われわれがその内に生きていて、五覚に感じている現象は、このイデアの影のようなものでしかない、と有名な「洞窟のたとえ」を使って説く。つまり、この現実と一般にいわれているものは、洞窟の壁に投影された光景でしかない、ということである。そうした光景はいつかは消滅しなければならないが、光源にあるイデアは不滅の原型である。 イデア論を原論として、プラトンの倫理学と国家論が展開される。プラトンによれば、人間の魂は欲望・意志・理性の3つからなっているが、このうち不死のイデアの世界に結びついているのは理性である。この理性が最高善のイデアを求めて向上をはかるが、そのときに妨げるのが肉体と感性である。イデア探求の援助をしてくれるものが徳であって、それは知恵・勇気・思慮・正義の4つからなっている。 国家 プラトンの著書。国家の形態として、以下の3つが長短の両面から論評されている。 寡頭制 民主制 僭主制 国家が正義を実行するためには、理性による指導――哲人政治が必要だとした。 アリストテレス アリストテレス(前384~前322)は、プラトンの弟子であり批判者である哲学者。アカデメイアで勉強し、アレクサンドロス大王の家庭教師となる。 学問が多彩で、哲学・論理学・倫理学・政治学、それに動物学・植物学・天文学などの自然科学、さらに修辞学から芸術論まで多くの著作が残されている。 なかでもプラトンがイデアを超越的に設定したのに対し、アリストテレスは現実から出発して後世に大きな影響を与えた。アリストテレスもイデアにあたる「形相(エイドス)」を考えながらも、それを現実化するための「質料(フュレー)」を考えた。 「合理的な思索は概念によって行われる」とした。この概念を整理するのが10の「範疇(カテゴリー)」である。それは実体・量(数)・質・関係・場所・時・位置・所有・能動・受動である。このカテゴリーによって誤りをおかさないで概念を使って判断と推理と証明が行われる、とした。これらはひとつの命題をより普遍的な命題から導き出す、いわゆる演繹法によるものである。 古典ギリシャ哲学はアリストテレスで最高潮に達して終わるが、ヘレニズム時代・ローマ時代にも哲学者が存在する。たとえばディオゲネス(前412頃~前323)はいわゆる犬儒学派の有名な哲学者で、エピキュロス(前342~前270)は快楽学派と呼ばれる哲学者で、魂の安静を快楽・最高善とする個人主義者だった。 学派では、ストア学派と新プラトン学派が重要である。 ストア学派はゼノンから始まり、論理学・自然学など多面的に組み立てられているが、倫理学が中心だった。一切の認識の基礎にあるのは「感覚」であり、感覚の土台には物質があるが、そこにはロゴスが宿っていて物質に秩序を与えている。人はこのロゴスを自覚し、ロゴスの作る秩序に従って生きるべきで、そのために様々な情念や欲望によって乱されない「不動心(アパテイア)」を養い、厳しい克己心をもって理性的に生きよ、と主張した。 ストア学派では、初期のゼノン、中期のパナイティオスとポセイドニス、後期のセネカやエピクテトスが有名だが、ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス(121~180)も「省察録」で知られる。 新プラトン学派はキリスト教を意識しながら、これをプラトン哲学によって神秘主義的に克服しようとした。 新プラトン学派の最大の有力者はプロティノス(204~270)で、イデアを神=最高存在とし、それから万物が段階的に放射されている、という立場をとった。その第1は「精神(ヌース)」、第2は「世界霊魂の世界」、第3が「闇黒の物質の世界」であり、第2と第3の間に「個人的霊魂」が存在するとした。こうした世界観に立って、人間は思索によって最高存在と合一し、その恍惚のなかに救いを求めると考えた。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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『ソクラテス』 10KB 愛で 観察 追放 群れ 野良ゆ 都会 現代 愛護人間 ちぇん=ソクラテス・まりさ=プラトン。ディオゲネスとアレク出したかったけど無理。 双葉町の二丁目にある宛内公園には愛で派によって作られた人口のゆっくりプレイスがあった。 そこでは、ゆっくりの労働は皆無で、人間によって公園の管理はされ、人間によって食料が手渡されていた。 ゆっくりたちはこの状況に満足し、人間の機嫌を損ねないようにしながら共存関係を築いていった。 さて、時間の余った彼らはただゆっくりとしているだけではなかった。政治というものが生まれたのだ。 各々、自分たちで集まり意見を出し合い、なんらかのプロジェクトを打ち立て、それを実行する。 例えば、運動会を開いたり、裁判を起こしたり、大きな家を建築したり。乱暴者や政敵を追放するなど。 一番大事なものとして、啓蒙があった。人間との共存を推し進める行為だ。 ゆっくり達の基本方針、親人間政策を軸に様々な意見が飛び交い、人間との仲を構築していった。 だが、人間と同じように進歩したかと思えば、人間と同じように退化していく。 政治という物に興味が薄れていったからだ。ギリシャと同じく衆愚政治に陥ってしまったのだ。 誰も政治に興味を示さないからこそ、一部の政治に興味を示すゆっくりが鶴の一声のようになってしまう。 彼らはソフィストのように振る舞い、自分たちのことを“けんじゃ”と名乗った。 「むきょきょ! このもりのけんじゃのぱちぇのはなしをきくのよ!」 彼らの大半は無知なものが多かった。とくにぱちゅりーは自分の知恵をひけらかすことでゆっくりしたのだ。 なによりも、暇に明け暮れ、正しい知識を得なくなってしまったゆっくりにとって、“けんじゃ”の言葉はスポンジにしみる水のようなものであった。 「よーく、ききなさい!! にんげんはゆっくりせずにはたらいたりしているわ!! そう、かれらはゆっくりのどれいなのよ!! ゆっくりしてないどれいにあたまをさげるひつようがあるかしら!?」 「「「「「そうだそうだ!!」」」」」 こうして、無知によって人間に対する意識は薄まり、ゆっくりは次第に横柄になったのは言うまでもない。 しかし、そんなさ最中、真実を求めるゆっくりが一匹いた。そのゆっくりは無知を恥じず、考えることのみを欲した。 ソクラテス 嘘あき 昼寝の音や、生活感あふれる区域。そこは資材を人間からもらい、ゆっくり達によって作られた住宅街であった。 ダンボールによって作られた家の合間を縫って、一匹のまりさが駆け出す。 そこら中にいる間抜けっ面を晒したゆっくりよりもどこか利発そうな雰囲気を醸し出すゆっくりであった。 「せんせい、せんせい!! ちぇんせんせいはどこにいるのぜ!!」 まりさは師匠を探していた。 「どこなのぜー!?」 住宅街を抜けた近くにジャングルジムがあった。その上に丸いシルエットが見える。 「このおすがたはもしや!?」 ピンク色の鉄製のジャングルジムの手すりに飛び跳ねて、まりさは駆け上がっていく。 普通のゆっくりでは足を痛めたり落下する可能性があったが、運動神経の良いゆっくりは登ることが出来た。 頂点にたどり着くと、一匹のちぇんがいた。年老いた姿からはまるで鳥のだしがらのようにしなびている。 だが、その眼孔からはどこか遠くを見据えている望遠鏡のような眼であった。 「ちぇんせんせい、さがしたのぜ!」 まりさの声に気づいたちぇんは視線をそのままに返事をした。 「まりさなんだねーわかるよー」 声をかけたのに相変わらずどこかを見ている師匠に疑問を感じたまりさは問いかけた。 「どうして、とおくをみているのぜ?」 一旦間をおいて、ちぇんは口を開く。 「どうして、ちぇんはちっちゃいんだろうねーわからないよー」 「それは、あたらしいもんだいなのぜ?」 「にんげんさんはとってもおおきくて、いろいろなことをしってるのに、まだせかいがわからないんだねー」 「せかいをすべてしるというのはかみさまのしょぎょうなのですぜ」 「わかるよーでも、ちぇんはしりたいんだねー」 「では、もういちどおききしますが、なぜ、とおくをみていたのぜ?」 「せかいをしりたいからだよーわかってねー」 「そう、なのぜ……でも、そのまえにやることがありますのぜ!!」 「それはなんだい? わからないよー」 まりさが器用にジャングルジムを降りると、ちぇんもそれについていく。着地したところで、まりさは師匠に振り返った。 「ぱちゅりーがまたにんげんひはんをするのぜ! だから、せんせいにがつんといってもらいたいのぜ!!」 最近の“けんじゃ”のブームとして人間批判があるのだ。主張として人間奴隷説がある。 これは主に第3世代のゆっくりが行なっていることで、人間のありがたみを知らないゆっくりによるものだ。 第1、2世代は土着のゆっくりで食糧難に困っていたのを人間に助けてもらっていたので人間をバカにはしない。 きちんと教育を受けたゆっくりは人間のありがたみを知っているのだが、いかんせん、7割は知らないでいる。 「ちぇんは、ただ、ゆっくりしたいだけだよー」 「たのみますのぜ!」 まりさは頭を下げる。 「……わかったんだねーでも、でいぶがおこるよー」 ちぇんは恐妻家であった。それゆえに、何かあるたびに怒鳴られるのがちぇんの日課であった。 「さっさと、あのおくさんとはわかれたほうがいいのぜ? せんせい! それに……」 「わかるよーでも、むりなんだねー」 「まりさのぱぱにたのめばいいのですぜ」 対して、まりさの家は裕福な家だった。政治家としても優秀で、高い地位を持った家である。 「まりさ、りこんはとってもわるいことだとちぇんはおもうんだよ」 「どうしてなのぜ?」 「ちぇんはあいのちかいをたててしまったいじょう、それにしたがわなかったら、ちぇんはしんじつをゆがめてしまうんだねー」 「それでも、ゆっくりできないのはわるいことですぜ!」 「ちぇんはしんじつをまげるぐらいならしんだほうがいいとおもってるんだねー」 「なぜ、しんじつはまげちゃだめなのぜ?」 「ゆっくりはしんじつだからなんだねー」 「む、むずかしいのぜ。とりあえず、ぱちゅりーのはなしがはじまるまえにいきましょうなのぜ!!」 そのぱちゅりーはそれなりの“けんじゃ”でたくさんのオーディエンスが集まっていた。 オーディエンスが求めるのは娯楽であり、その点、“けんじゃ”の言葉は毒にも薬にもなるものであった。 「ぱちぇのはなしをはじめるわよ!!」 オーディエンスの中にはちぇんとまりさが居た。すると、観客がざわつくのだ。 「ちぇんがきたのぜ!」 「あの、へりくつのちぇんよ!!」 まりさはこの反応にいつものことかと笑ってしまった。 「せんせい、きょうもがつんとやりましょうなのぜ!!」 嬉々として喜び、おさげをブンブンと振り回すまりさを静止するちぇん。 「まつんだねーちぇんはけんかしにきたんじゃないんだねー」 「むきゅ、こほん! それではぱちぇのはなしをはじめるわ!!」 ぱちゅりーのはなしは人間がいかにゆっくりしていないかを論ったものである。 それに賛同するオーディエンスは“けんじゃ”の言葉を鵜呑みにし、各々の人間像を描いていった。 だが、一部のオーディエンスはそわそわとある二匹の出番を待ち構えていた。そう、ちぇんとまりさである。 「――だから、にんげんはゆっくりしてないわ! むきゅ!!」 「ちょっと、いいかなー」 ちぇんが声を上げたのだ。その姿に観客は騒然とする。 「なにかしら!」 毅然とした態度で立ち向かうぱちゅりー。私には悪いことはないと威張っていた。 「にんげんはあたまがわるいってはなしなんだねー」 「そうよ、にんげんはいつもおなじことしかしないわ! あいさつとごみそうじとかりをするだけ!」 「それは、にんげんさんができるのうりょくのいちぶでしかないんだねー」 「むきゅきゅ、でも、にんげんはゆっくりをゆっくりさせるためのどうぐよ!!」 「どうぐじゃないかもしれないんだねーもしかしたら、おとうさんとおかあさんのかわりかもだよー」 「むきゃ? それは、にんげんがおとうさんとおかあさんってことなの? むきゃきゃきゃきゃ!!」 「ちがうんだねー。にんげんはもしかしたら、かみさまなのかもしれないんだねー」 「むーきゃきゃきゃきゃきゃ!! そんなばかなはなしがあるわけないじゃない!!」 「なら、なぜにんげんはゆっくりにつくしてくれるんだろうねー?」 「とうぜんよ、ゆっくりがゆっくりしてるからよ!!」 「なんで、ゆっくりがゆっくりしてるんだろうねー」 「むきゃ、それは……ゆっくりだからよ!」 「こたえになってないんだねー」 オーディエンスがざわついた。ぱちゅりーが負けつつあるからだ。 「むぎぎ。じゃあ、ちぇんはなんでゆっくりがゆっくりしているといえるのかしら!?」 「べつに、ちぇんはゆっくりがゆっくりしているわけじゃないとおもうんだねー」 この答えにはさすがに、ゆっくり達は非難せざるをえなかった。 「「「「「ゆっくりしてないのはちぇんだけだよ!!」」」」」 「むきゅ、そうね! そうだわ!! ゆっくりしてないちぇんはゆっくりしないでね!!」 「まあ、まつんだねー」 「もうおそいわ!!」 「ゆっくりはゆっくりできなかったからゆっくりしようとかんがえたんだよー」 「むきゃ? それはどういうこと?」 「「「「「ゆゆゆ?」」」」」 オーディエンスは静まり、ちぇんの言葉に耳を傾けた。 「おじーさんやおばーさんはゆっくりできなかったっていうよーそれはしってるよねー」 「「「「「しってるよ!!」」」」」 「じゃあ、なんでいまはゆっくりできるんだろうねー?」 「「「「「にんげんがいるからだよ!!!」」」」」 「そうだねーにんげんがいるからゆっくりはゆっくりできるんだねー」 「「「「「な、なるほど……」」」」」 「かりやおそうじはゆっくりできないんだねー。だから、ゆっくりはゆっくりできなかったんだよ」 「むきゃ? ということはゆっくりはゆっくりできないのがうんめいだったってことかしら?」 「そうだよー!」 「「「「「じゃあ、にんげんはゆっくりできるんじゃ……」」」」」 「そうだよー。ふつうにかんがえたら、にんげんはゆっくりできるんだよー」 「まって、にんげんはゆっくりをゆっくりさせるためのどれいよ!!」 「よくかんがえてほしいんだねーいまはにんげんとなかよしだからゆっくりできるんだよー」 「それじゃあ、にんげんがいうことをきかなければぱちぇたちがにんげんをたおせばいいじゃない!!」 「ちからのさにきづいてほしいんだねー」 「むきゅきゅ、それはわたしたちがゆっ……ぱちぇのまけね」 ぱちゅりーは相手の顔を見た。どうせ胸を張って私を見下ろしているのだろうと思って。だが違った。 「でも、にんげんがゆっくりしているわけじゃないんだねー」 「むきゅ?」 「「「「「ゆゆ?」」」」」 ちぇんの言葉にぱちゅりーとオーディエンスは驚いた。先ほどまで人間はゆっくりできると言っていたのに反対のことを言いだすからだ。 「もしも、にんげんがはたらかなくなったら、ちぇんたちはどうなるんだろうねー」 「「「「「ゆっくりできなくなるよ!!」」」」」 「じゃあ、そうなったらにんげんはゆっくりできるかなー?」 「「「「「ゆっくりできないよ!!!」」」」」 「そうだねーこのよにかくじつにゆっくりできることはないんだよーわかってねー」 こうして、ちぇんとぱちゅりーの話し合いは終わり。幕を閉じた。 だが、一部ちぇんをよく思わないゆっくりは長に「ゆっくりはゆっくりしていない」とちぇんが発言していたと報告をすることに。 「ちぇんはゆっくりをひていしたゆっくりだわ。よって、このむれをついほうする!!」 ちぇんは老いた体を引きずりながら公園を立ち去っていった。その後ろにはあのまりさもいた。 「どうしますのぜ、せんせい!」 ちぇんは笑って答えた。 「これで、ちぇんはじゆうになったんだねー!」 「ど、どういうことですのぜ?」 まりさは師であるちぇんの教えを受けきっていないとしてついてきたのだ。それも、死を覚悟して。 頭の良いまりさにはわかっていたのだ。人間の加護を受けねば生き長らえないことを。 しかし、まりさは自分の師匠が正しいことを貫いた事を知っている。だからこそ、ついてきたのだ。 「ちぇんはせかいをしらないんだねーだから、いっぱいしりたいんだねー」 「しかし、せんせい。よのなかにはゆっくりをしにいたらしめるものがたくさんあるとききますのぜ」 「それもせかいのいっかんなんだよー!」 その後、宛内公園ではあのちぇんとまりさを見たものはいない。 なぜなら、彼らは無謀にも人間と敵対し、滅びたからだ。